動物福祉の観点から犬の心身の幸福を守る臨床現場では、犬の行動相談で扱うべき行動は、飼い主から相談される行動だけとは限らない。
例えば、飼い主が問題として認識していなくても、犬が強い心身の負担を抱えながら示している行動もある。また、今は大きな問題になっていなくても、将来、犬・飼い主・地域社会にとって大きな問題へと発展する可能性のある行動もある。
そのため、臨床現場における犬の行動相談では、犬・飼い主・地域社会のいずれかにとって問題となりうる行動を、犬と飼い主の暮らしの中から見落とさず網羅するための観察軸が求められる。
犬の問題となる行動を見落とすリスク
臨床現場における犬の行動相談では、飼い主から相談された行動だけを扱えばよいわけでは決してない。
たとえば、飼い主にとっては問題と認識されていない犬の行動が、当の犬にとっては、心身に障る大きな問題となっている場合がある。
例としては、犬を留守番させて飼い主が外出しようとする際に、犬が飼い主を求める仕草や行動が、飼い主にとっては「甘えん坊」のように好ましく捉えられているとする。しかし実際のところ、犬は飼い主から離れひとりになることに強い不安を感じ、飼い主の後を追って、その関心を求めている。この場合、犬の示す行動は、飼い主にとっては相談すべき問題ではなかったとしても、犬にとっては心身の健康に障る問題として扱われるべきであり、迅速に、そして適切に介入することが求められる。
また、たとえば、飼い主にとって今は大きな問題と認識されていなくても、犬の示している行動が時間の経過とともに深刻化し、犬・飼い主・地域社会のいずれかにとって大きな問題となることが予測される場合もある。
例としては、発雷時、犬が雷を怖がってよだれを垂らしながら震えるが、共に暮らす飼い主にとって現状さほど困る行動ではないとする。しかし、時間が経過し、犬が雷による恐怖体験を繰り返すことで、深刻な雷恐怖症(Thunder Phobia)へと症状が悪化して、発雷時にパニックを起こして部屋から逃げ出そうとして玄関を破壊したり、実際に雷雨の中、屋外へ脱走してしまうなどの事態が起こってしまうと、これは犬にとっても飼い主にとっても、地域社会にとっても大きな問題となってしまう。
このように、犬の飼い主から申告された行動だけを、介入が求められる行動として認識してしまうと、介入を要する他行動を見落としてしまうことになりかねない。
困った行動を見落とすことは、犬の福祉だけでなく、飼い主の生活、犬と飼い主が暮らす地域社会との関係にも負の影響を及ぼす。
そのため臨床家は、犬と飼い主の暮らしの中で起こりうる犬の行動、その中でも特に問題となる行動、そして問題となりうる行動を網羅し、その全体像を把握しておく必要がある。
問題となる行動は、誰にとっての問題か
問題となる行動は、「飼い主が今現在困っている行動」だけでは決してない。
犬の心身に強いストレスがかかっていることを表す行動、
飼い主の精神や生活に負担を与えている行動、
地域社会との健全な関わりに影響を及ぼす行動など、
犬の問題となる行動は、犬・飼い主・地域社会のいずれかにとって問題である行動、もしくは将来問題となりうる行動として、包括的に捉える必要がある。
これらは、飼い主からの申告だけに頼っては、把握することができない。
この三者の視点については、
「犬の行動変容とは何か|臨床現場におけるBehavior Modification」
にも示しているので、参考にされたい。
問題となる行動を網羅する観察軸とは
たとえば「吠える」「咬む」「壊す」といった行動の呼び名を飼い主からの相談経験から思いつく限り並べても、犬と飼い主の暮らしの中で起きる犬の問題となる行動を網羅し、その全体像を把握することはできない。
犬の問題となる行動を網羅し、その全体像を把握するためには、犬と飼い主の暮らしを、それに沿って観察する「軸」となるものを持つことが必要である。
以下に、その観察軸と、観察軸に沿った犬の問題となる行動の網羅の仕方について紹介する。
24時間の時間軸に沿って、犬と飼い主の暮らしを観察する
犬の問題となる行動を網羅し、その全体像を把握するためには、犬と飼い主の暮らしを、それに沿って追う「軸」となるものを持つことが必要である。
あじな動物病院行動セクションでは、犬と飼い主が過ごす24時間という「軸」を紹介し、用いる。
犬と飼い主は常に同じ場所で生活をするわけではなく、また、動物種も異なるため、それぞれにとっての正常行動も異なる。しかし、共通であるのは、一日24時間の時間軸で過ごしているということである。
犬の問題となる行動を見落とさず、網羅するために、ここでは犬の行動を24時間という時間軸に沿って追っていく。
その際に、まず飼い主の生活パターンを、日常生活における平日と休日で大別し、それぞれのパターンでの24時間を軸として犬の行動を追っていく。
そして、それに補足する形で、日常生活の24時間軸だけでは整理しきれない、特殊な場面や関係性の中で現れる犬の問題となる行動を、その場面や関係性ごとに追っていくこととする。
日常生活での平日24時間に沿って、問題となる行動を網羅する
犬の問題となる行動を見落とさず網羅するために、犬が過ごす24時間を、飼い主の日常生活における平日の生活パターンで追う。以下にその網羅の仕方の例を示す。
飼い主の日常生活における平日24時間軸での犬の問題となる行動の列挙
朝:
早朝に起こされる
興奮して尿を漏らす(通称ウレション)
朝〜日中:
トイレを覚えない
トイレシーツをビリビリに破く
自分の便を食べる(食糞)
ごはんを食べない
オモチャを破壊して飲み込む
オモチャで遊ばない
自分の物を守って唸る、咬む(ごはん、オヤツ、食器、オモチャなど)
飼い主の手足を咬む(甘咬み)
飼い主の物をイタズラして壊す
家具などをかじって壊す
要求吠えをする
飛びつく
外の物音に吠える
散歩前:
首輪、胴輪、リードが着けられない
散歩中:
散歩でまっすぐ歩かない
散歩でリードを引っ張る
散歩で立ち止まる、進まない
散歩で拾い食いをする
散歩で猫の吐瀉物や便を食べる
散歩で他の犬に吠える
散歩で人に吠える
散歩後:
じゃれてお手入れが出来ない(足拭き、ブラシなど)
嫌がって・怒ってお手入れが出来ない
お風呂に入れられない
インターホンに吠える
配達の人に吠える
来客に吠える
ハウスになかなか入らない
ハウスに入れると鳴く
ハウスに入れると出ようとして中で大騒ぎする
飼い主の外出時:
お留守番が落ち着いて出来ない(ずっとウロウロしている、ずっと吠えている、遠吠えしている、部屋から出ようとして扉や壁などを破壊する、ケージから出ようとして爪などを引っ掛けてしまい怪我をする、トイレではない所に排泄をする、留守中に下痢嘔吐している、など)
飼い主帰宅後:
手足を舐める
尾を追いかける
何もないのに吠える
自分の影を追いかけて吠える、興奮する
壁に映り込む影を追いかけて吠える、興奮する
夜間〜就寝中:
夜寝ない
飼い主と一緒に寝ていて、飼い主が寝返りをうつと怒って唸る・咬む
など
※上記は犬の問題となる行動を飼い主の日常生活における平日24時間にそって挙げたその一例である。
日常生活での休日24時間に沿って、問題となる行動を網羅する
犬の問題となる行動を見落とさず網羅するために、犬が過ごす24時間を、飼い主の日常生活における平日の生活パターンだけではなく、休日パターンで追うことも重要である。以下にその網羅の仕方の例を示すが、平日と生活パターンが変化することで、休日に新たに出現する場面のみを示した。平日と同様に想定される場面は、前章を参考にされたい。
飼い主の日常生活での休日24時間軸での犬の問題となる行動の列挙
休日は飼い主との外出する場面が増えるので、外出の場面に焦点を当て、問題となる行動を列挙する。
乗車時:
車に乗せようとすると抵抗する
車載クレートに入らない
車載クレート内でずっと吠える
車に乗せると酔う
車に乗せると怯える
車に乗せたらずっと興奮している(吠え続ける、ウロウロ落ち着かない)
車の外に向かって吠える
車に人が乗ってくると怒る
車から人が降りると不安そうに鳴いて落ち着かない
外出先にて:
飼い主が買い物などで犬から離れようとすると不安そうで落ち着かなくなる
カフェなど外出先で他の犬に吠える
カフェなど外出先で人に吠える
動物病院にて:
動物病院が嫌で車から降りない・降ろせない
抵抗して動物病院へ連れていけない
動物病院で酷く吠える
動物病院で獣医師やスタッフを威嚇攻撃する
動物病院で体をおさえようとする飼い主を威嚇攻撃する
動物病院で診察が受けられない
動物病院で検査が受けられない
動物病院で治療が打てない
動物病院で予防接種が受けられない
動物病院で鳴き叫ぶ
動物病院で大暴れする
動物病院で酷く怖がる
動物病院で失禁・脱糞する
※上記は犬の問題となる行動を飼い主の日常生活での休日24時間にそって挙げたその一例である。
特殊な場面での問題となる行動を網羅する|病気・怪我・ケア
犬の問題となる行動を見落とさず、網羅するために、犬の行動を24時間という時間軸に沿って追ってきたが、まず飼い主の生活パターンを、日常生活における平日と休日で大別し、それぞれのパターンで犬の行動を追った。
ここからは、それに補足する形で、特殊な場面や関係性の中で現れる犬の問題となる行動を、それぞれの場面や関係性ごとに追っていく。
まずは、犬が怪我や病気をして、飼い主による在宅ケアが必要になる場面を追う。
怒って触らせない
薬を飲ませられない
薬が塗れない
目薬がさせない
包帯や術後服を着せられない
おむつを着けられない
包帯や術後服を取ろうとする
おむつを取ろうとする
傷を舐めようとする、舐める
安静にできない
排泄を失敗する
家具などの隙間に挟まる
※上記は犬の問題となる行動を、犬が怪我や病気をして、飼い主による在宅ケアが必要になるという特殊な場面で追った一例である。
これらの問題となる行動は犬が健康な時は立ち現れないため、意識されることもないが、ひとたび犬が怪我や病気をして飼い主による在宅ケアが必要な状態になると、たちまちに犬にとっても飼い主にとっても切迫した問題となる。そのため、臨床現場では、犬が怪我や病気をした場面を追い、問題となる行動を把握しておくことが必要である。
同居関係の中で問題となる行動を網羅する
飼い主の日常生活の中で起こる犬の問題となる行動に補足する形で、特殊な場面や関係性の中で現れる犬の問題となる行動を、それぞれの場面や関係性ごとに追っていく。
ここでは次に、犬が人を含む同居動物と関わり、共に暮らす中で起こる問題となる行動を挙げていく。
同居動物とは、飼い主を含む共に暮らす人間、共に暮らす犬、そして、例えば猫などの、共に暮らす人と犬以外の動物を含んでいる。
人間の家族に慣れない、恐がる
人間の家族を威嚇する、攻撃する
特定の家族が犬に触れない
犬を散歩に連れ出せない、食事を与えても食べないなど、特定の家族が犬の世話を行えない
同居犬に慣れない、怖がる
同居犬と折り合いが悪い
同居犬と本気で喧嘩をする
同居犬を威嚇攻撃する
同居動物に慣れない、恐がる
同居動物を威嚇する、攻撃する
※上記は犬の問題となる行動を、犬が人を含む同居動物に対して示すという、同居動物との関係性について追った一例である。
犬を家族として家の中に迎え入れたあとに顕在化するこれらの行動は、犬も飼い主も、その家族も、そしてすでにその家に暮らしていた他同居動物も、全ての個体にとって、その心身の幸福度を著しく下げる問題になりかねない。かといって、ひとたび家族として迎え入れた犬を手放すことは現実的にも精神的にもほぼ不可能であることが圧倒的に多いと、臨床現場で寄せられる飼い主と家族の声から感じている。
そのため、これら犬とその同居動物との関係の中で起こる問題となる行動を把握しておくことは、臨床現場でより迅速そして的確に介入する上でも、非常に重要である。また同時に、列挙したような問題となる行動が、人間を含めた同居動物に対して起こる可能性があることを機会があれば伝えていくことも、問題を未然に防ぐという予防の観点から非常に重要であると言える。あじな動物病院行動セクションでは、例えば犬を迎える前の質問に答える「迎える前カウンセリング」などでこれを行なっている。
繰り返される行動、自らの心身を傷つける行動を網羅する
飼い主の日常生活の中で起こる犬の問題となる行動に補足する形で、特殊な場面や関係性の中で現れる犬の問題となる行動を、それぞれの場面や関係性ごとに追っていく。
ここでは、犬が繰り返し行う行動と、そうすることにより自らの心身を結果的に傷つけてしまう行動を挙げていく。
獣医動物行動学では、繰り返し行う行動は常同行動(Stereotypic behavior / Stereotypy)、それにより結果的に自らの心身を傷つけてしまう行動は常同障害と呼ばれる。
手足など体を舐める
手足など体を舐めて皮膚がただれる(舐性皮膚炎、Acral lick dermatitis)
尻尾を追いかける(Tail Chasing)
尻尾など体毛を噛み切る
尻尾などの体毛を引き抜く(抜毛)
尻尾などの体を咬んで傷つける(自傷行動)
※上記は、犬が繰り返し行う行動と、その結果自らの心身を傷つけてしまう行動を追った一例である。
これらの行動が、犬の健全で幸福な暮らしを、ひいては飼い主の平穏で幸福な生活を脅かすことは想像に難くない。これら行動の特徴は、飼い主が気を逸らそう、やめさせようとして食べ物を与えたり構ったりすることで、意図せず強化をしてしまうケースが圧倒的に多いということである。犬と飼い主の生活に障るまでに発展してしまってからではなく、介入が早期であればあるほど望ましい行動の代表例として、臨床家は把握しておく必要がある。
発生頻度は高くなくても、見落としてはいけない行動を網羅する
日常生活の24時間軸、特殊な場面、同居関係、繰り返される行動や自傷行動に加えて、臨床現場では、発生頻度は高くなくても、犬の心身の健康や飼い主の生活に大きな影響を及ぼしうるその他の行動についても把握しておく必要がある。
これらの行動は、獣医行動学では行動治療薬による行動治療を要する行動疾患として、臨床現場において扱われることが多い。
雷を酷く恐がる(雷恐怖症、Thunder Phobia)
音などの刺激を全般的に酷く怖がり落ち着くことができない(全般性不安障害)
犬の食物ではない物を大量に食べる(異嗜症、Pica)
片時も止まることがない、止まることができない(真性多動症)
※上記は、発生頻度は高くなくても、犬の心身の健康や飼い主の生活に大きな影響を及ぼしうる、その他の行動の一例である。
これらの行動は、発生頻度も、臨床現場における相談頻度も決して高くはない行動であるが、発生した際、犬と飼い主の生活に著しく障る行動である。ゆえに、同じく早期介入が求められる行動の代表例として、臨床家は把握しておく必要がある。
犬・飼い主・地域社会の幸福を守る臨床的観察軸
臨床家は、犬の心身の幸福を科学的観点から守ることを職務とするが、守るべきものはそれだけではない。
犬の行動は、犬だけでなく、飼い主、そして犬と飼い主を包括する地域社会の幸福にも大きく影響を及ぼす。
ゆえに、臨床家は常に、犬、飼い主、地域社会の三者の幸福について、科学的に検討し、その改善や維持のために取り組むという視点を持つ必要がある。
三者の幸福のためには、生活の中で起こりうる犬の問題となる行動について網羅し、その全体像を把握しておかなければならないが、これを、飼い主からの相談や自身の臨床経験に頼っていては、必ず見落としが出る。
そのため本稿では、あじな動物病院行動セクションが採用している、犬の問題となる行動を網羅するための観察軸である24時間軸について紹介した。
また、24時間軸に沿って網羅する犬の問題となる行動に加え、特殊な場面や同居関係の中で発生する行動、そして、発生頻度は高くなくても見落としてはいけない行動もその例を挙げて紹介した。
生活の中で発生する犬の問題となる行動を見落とさず把握することは、その後に控えている行動の観察、評価、そして科学的で人道的な介入の、すべての始まりであることは言うまでもない。
犬の問題となる行動の正確な評価と、迅速で適切な介入のため、また同時に問題行動に発展させないための早期発見と予防のためにも、臨床家が観察の軸を持ち、その軸に沿って、犬と飼い主の暮らしの中で起こりうる犬の問題となる行動の全体像を把握していることは、非常に重要なのである。
なぜなら、臨床家とは、犬と飼い主、そして地域社会の三者の幸福を、犬の行動の観点から守ることを責務としているからだ。
本稿を読まれた臨床家の皆さんが、本稿にて紹介した犬の問題となる行動の例に、ご自身の臨床経験を加えていってくださることを願って、本稿を締めくくりたいと思う。
あじな動物病院行動セクション 中西薫
この記事を書いた人
中西薫
あじな動物病院行動セクション代表。北海道大学獣医学部入学後、同大学を自主退学。「攻撃行動の治療家」を目指し、国内外で犬の行動について学ぶ。2014年、広島県廿日市市にあじな動物病院行動セクションを開設。犬の行動(Behavior)を専門とし、一般にしつけやトレーニングと呼ばれる犬の教育を、行動の科学的解析と評価に基づき、行動形成トレーニング、行動療法トレーニング、行動治療としてレッスン現場で指導している。
このページで用いる主なことばの意味と位置づけは、
行動百花|行動のことば に整理しています。
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